思い出補完計画

さてどこまでやればいいのだか。


ずっと今年に入ってから(正確には2月初旬から)自分の不要な物の片付け、さらにはもういなくなった家族の所有物の処分に勤しんで参りましたが、いよいよ佳境を迎えるにあたり、いろいろ考えるところもあります。「捨てろ、捨てろ」と言われ、「生きるためにはパンと水さえあればいい」という格言?を常に頭に置き、思い出に浸る時間すら無駄と思い、捨てに捨て続けました。身の回りがすっきりすれば気持ちも新たになるとか、風水的に片付いているのは良いなんてよくいうけど、それとは違う。なんか本当に自分が一人になってしまう気がして実に寂しいのです。そう寂しい。処分すればするほど誰もいないこの空間にただ一人いるというこの虚無感。新しい生活を始めるには必然なことですが、悲しすぎる。実家のある人、まだ家族がいる人はきっとそういった忘れかけている思い出がどこかにあるだろうし、それを手放す時なんてのはまだまだ先のことのように感じるでしょう。
つい最近押し入れの奥から一つの箱を取り出してみると、その中には、なんと母の中学時代の卒業写真と思われる写真と、クラスメイトからの寄せ書きでした。私も中学時代に同じ寄せ書き帳を卒業時にみんなに書いてもらい、つい最近まで机の奥に眠らせていたのですが、この片付けの際に処分してしまいました。数十年の時を経て、娘の私が手に取り、母の当時の様子を垣間見るとはきっと母も予想してはいなかったでしょう。不要なものかもしれないし、数十年お目にかかることのない品だったかもしれませんが、その中にはいろんな思いが詰まっています。その箱はもうしばらく眠らせることにしました。
今日は彼岸入り、そして両親の月命日でもあります。そして、大事な恩人の一周忌でもあります。何の縁があってか3人とも同じ命日日です。あんまり寂しがってぐずぐずしてたらさぞ心配することでしょう。ここ最近よく夢に両親が登場してきます。それもしょっちゅうです。心配して出てくるのか?私が単純に寂しがって見る夢なのか?よくは分りませんが、とにかくよく出てきてくれます。あまり寂しがってしまうと、あちらにいけないとよくいいます。心配させると未練が残るそうです。彼岸の入りなので、もしかして私がそういう気持ちになってしまったのかもしれませんね。気持ちよく送り出せるよう忙しい中でも日々頑張らないと。うむ