弔いと誕生日

股旅の更新はそのうちします。


今日は母の誕生日です。早いですね1年て。丁度去年の今ごろ、まともに定禅寺通りのページェントを見たことのないという母のリクエストに応えるために、「誉」に連れて行って、伊勢海老食べたりしました。あの時見たページェントはきっと今までで一番キレイで思い出深いものになりました。今年も一応ページェント見に行きまして、ケヤキ並木の下も歩いたのですが、去年のような感動はありません。もちろん一緒に行った人が、、ていう問題はきっと(笑)ないとは思いますが、それくらい去年のは思い入れが深かったのだと思います。
もう遠い昔のような気もするのですが、まだ百か日たっていないことに気付き、そうか、まだ寂しいような悲しいような気持ちは持ち合わせていても普通なんだなと思ったら、なんか泣けてきました。何気ないことでもすぐ、あぁこの時こうしたよなぁとかこんな話題をしたよなぁとかすぐ結びつけては思い出し、寂しい気持ちになるんです。
と、そんな話をしていたら、それはお母さんに対する弔いになるんだからいいんだよ。と。この世にはいなくても、そうやって思い出すということは、その人の心の中で生き続けるのだからと。そうですね。そうなんですよね。分っているつもりではいても、この世にもういないという事実のほうが強すぎて、そのことは忘れていました。
いろんな思い出やエピソードがあるというだけで、なんだか今は寂しいのだけど、きっとそれは大きな財産になるのでは?と思います。ま、今日はそういう思いをはせながら、一人夜を過ごすのも良しとしましょう。
さ、バイトだバイト(笑)