思い出と記憶

最近箇条書き系だったのでちょっと長文を。


少し前に我が家のアホ娘が帰国していて姉妹水入らず(笑)で酒を飲んでいたところ、「お姉ちゃんは家で楽しかった思い出がある?私はあるのかもしれないけど、具体的に思い出せない」と言われた。正直そんな質問はどうでもよくて、三十路になろうという女が今更そんなこと言うなよとか思うくらいで、あとちょっとなんだか哀れな子だなぁって思ったくらい。だけど、こう毎日追われるように過ごしているとそういうことはほとんど思い出されなくなる。

なので、いよいよ母との本当の別れの時期が近づいた今、なんだかいろんなことを思い出してみようと思ったのだ。よく産まれた時の記憶が今でも残っている人は霊媒能力があるとか言うけど、私には当然ない。あっても困るものだからなくていいのだけど、では、私の中の一番古い記憶はなんぞやと辿ってみる。

で、どの辺りが一番古いかというと、仙台に引越ししてくる前に住んでいた埼玉県朝霞市にいた頃。その前は父の実家の近所のアパートだったらしいけど、こちらは残念ながら記憶にない。で、朝霞の場所や地理的なものは一切記憶にないのだけど、よく覚えているのが、冬のある日、雪が降っていて、アパートの駐車場かどこか空き地で母と雪合戦をしたこと。しかも、なんで覚えているかというと、母の投げた雪球が顔面に大ヒットしたからだ。おそらく2歳か3歳になるかどうかの頃だと思うけど、あれだけはよく覚えている。と、まぁ取り立てて面白いエピソードでもないのだけど、おそらく一番古くて記憶が鮮明な出来事と言ったらきっとこれだと思う。

果たしてこれが楽しい思い出なのかと言ったら、別にそういうものでもない。ただ記憶能力の低い頭を振り絞って出てきたのがコレというだけ。では楽しかった思い出を具体的に。と言われるといささか困る。だってそれは全て過去のものだから。コンピュータとは違って人間の脳は実に自分の都合のいいように記憶や思い出が塗り替えられる。ひょっとして、この顔面ヒットの記憶だって幼少の頃はトラウマになりかねない嫌な思い出だったかもしれない。だけど、どうだろう。この一番古いであろう記憶は別に私にとって特別な思い出でもなんでもない。よーくよーく思い出せば、もちろん嫌な思い出も出てくるだろうけど、それを今更引っ張り出したところで、何の役にも立たない。ていうか都合よく忘れている気すらする。それだけでも十分私はきっと幸せな時間を過せたと思ってます。だって忘れられるくらいの嫌な思い出なんてきっとそうたいしたことのないことばかりだろうから。

相変わらず病室にていろんな話を母とするのだけど、その中の何割かはすでに思い出話になっている。麻薬系の痛み止めはもう1年以上前から使用しているけど、とうとうモルヒネの使用が始まりました。微調整しながらゆっくりと投入しているけど、だんだんと記憶障害が始まり、会話もままならなくなる日が近いことが母も私も分っています。もうすでに、薬の副作用か、癌の進行かどちらかかはわからないけど、手足のしびれがひどくなりつつあります。もしかしたら明日にはもう歩けない状態にもなってるかもしれない。自分の手でカップを持ってお茶すら飲めなくなってるかもしれない。

もう死への恐怖よりも死による安らぎを母が求めていることももう分っています。今はただゆっくりとそれを待つばかり。母はとても強い人だ。こんな状況になっても今まで涙一つみせてない。このことはずっとずっと自分の中の記憶にとどめておこう。そして出来るだけ残された時間を一緒に共に過そう。今出来ることはそれくらい。それくらいしかないのです。