涙の理由

泣き虫の私が泣いてない理由。


先日の訃報の連絡を受けてより、師匠のブログを読むととても胸が苦しい。もちろん私もあの連絡を受けた当日はどうにも睡眠障害が発生し、満足に眠ることが出来ず、昨日はグダグダな1日を過ごしてしまった。だけど何故か涙が出てこない。すぐ感極まって涙をぽろぽろとこぼす私がだ。そう思っていたら、師匠のブログに茂木さんのブログが紹介されていた。
茂木健一郎 クオリア日記
こちらのブログにある「涙の理由」というエントリーを読むとそうなのだが、私はまだ「死」という現実を受け入れていないのだろうか?と。むしろすんなり受け入れてしまったような気がするのだけど、それは自分に言い聞かせているだけなのでしょうか。そこが良くわからないのです。昨日書いたとおり、さんざん泣いた日々もありました。そして今同じ病気の母と共に暮らしています。おそらくそこなんでは?と。去年父を亡くし、公の場では泣かなかった自分。それに対し、「何をそんなに我慢するのだ」と非難されました。別に我慢とかではなく、出なかったのだからいいじゃないか。もちろん泣かなかったわけではない。お通夜の晩、棺の前にて一人で泣いた。でもその涙はどちらかというと、父を亡くした悲しみの涙ではない。むしろ謝罪に近い意思表明の涙だった。大事な人の死を受け止め、号泣する師匠。そのシンプルな感情が今はとてもうらやましい。そう思うなら素直に泣けばいいのにとも思うけど、今は無理。私はもう一つの山を超えてから。その時に思う存分泣こうと思うのです。そして思うことは、身近にいてくれる大事な人のありがたさ。これにつきます。どうもありがとう。