5年先の事

かんぱいだ


そんなの知るわけないだろ!そんなの誰しもがそうで当たり前よね。


というわけで、ちょっと週末ドタバタとボードをしに2人のメンズが東京からやってきたよ。一人はそうです。あの病人です。そしてもう一人はその病人の元部下のTOIEC970点をたたき出しているエリートサラリーマン。それは木曜日の夜夜中に1通のメールから始まりました。

「突然だけど、土曜日ボードしにいっていい?日曜日は○○も参加で」

えぇ?えぇ〜〜〜〜〜っ!?んな急に言われましても困りますねん。こっちにも都合というもんがあるさかい。と思いつつもとりあえずいろんな事を頭で考えまくりとりあえずOKを出す。で病人の彼は金曜日の夜に仙台到着。前回会った時は9月でその時はまだ薬の副作用で坊主頭だった。そして10月末に職場復帰を無事果たし、本当は行くはずだったホノルルマラソンを急遽キャンセルし、そしてどういうタイミングを見てたのかはしらないけどもとにかく先週私が送った初滑りの報告のメールを見たらいてもたってもいられなく今回にいたる(らしい)。ちゃんと髪の毛は黒々と生えていてとても元気そうだった。病気になる前のテンションと同じで高いのなんの。どこが病人なんですか?というくらい酒を飲みまくり、二日酔いで土曜日山形蔵王へ。先週末の初滑りの時とはうって変わって大晴天。そう、それは今年の4月に2人で最後に行った山形蔵王と全くといっていいほどの青空。これは何かの偶然?日頃の行いの成果?2人で百万人ゲレンデの上で素晴らしい景色をみながらポケットにしのばせたビールで乾杯をして、「まさか今年中にボードに自分か来れるとは思わなかった」としみじみ。半ば勢いで来てしまった。と語っていたけど私としても半年前ではまさか一緒にまたボードができるなんて思ってもみなかった。正直4月のあれが最後だったんじゃないかと思ってしまってたくらいだったから、まさかこうしてここにいることは奇跡のようで感慨深いものがあったりした。目の前に肺癌を告知された人間がいて、5年後の生存率は20%を切っていると言われ、それでもこうして一緒にボードをしにわざわざ東京から仙台へ会いに来てくれてるのだ。「5年後自分はその20%の一人になりたい」。と言った。その言葉はあまりにも重く、正直当時はとてもじゃないけど享受できる内容じゃなかった。きっと闘病中の治療は想像を絶するくらい壮絶なものだったのだろう。何もしてあげられず落ち込む日々もあった。でも今元気に生きている。完治といえるのは5年先の結果が出てから。だからといって「再発」という2文字におびえて暮らしていたらせっかく生かしてもらっているのに、もったいないじゃないか。そう思う。そしてそうやって強く生きようとしている彼にパワーを逆にもらいました。本当に感謝。ありがとう。

追伸:もう一人の彼は横倉の壁を大満喫したそうな。ありえん!!